【スーパーカーにまつわる不思議を考える】スーパースポーツ「P72」を送り出した新生デ・トマソに見る、スーパーカーブランド立ち上げの難しさ
2024/09/28

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は少量生産のスーパーカーブランドをゼロから立ち上げる難しさ、そして新生デ・トマソのプロジェクトについて思いをはせてみた。
新生デ・トマソに車作りへの “パッション”はあるか?
アレッサンドロ・デ・トマソが自動車メーカーを起こして今年で65年を迎える。彼の築いたデ・トマソ社は2004年に消滅してしまったが、紆余曲折を経て、デ・トマソの商標が現オーナーへ渡った。かつてプロトタイプが1台のみ製作されたP70へのオマージュとして、デ・トマソ P72がアンベールされたのは今から5年前の2019年のことであった。
この手の少量生産プロジェクトではよくあることだが、P72というネーミングにちなんだ72台限定販売がうたわれ、これまたよくあるように即完売とアナウンスされた。
このアンベールされたモデルはデ・トマソ・ブランドを獲得した経営陣がすでに手中に収めていたアポロオートモビルのスーパーカー「インテンサ・エモツィオーネ」のCFRPシャシーに、ハンドメイドのボディを被せたものであった。パワートレインはフェラーリV12が搭載されていたが、もちろんフェラーリがこのプロジェクトにV12を提供するわけはないから、彼らはデ・トマソ復活というストーリーに見合ったパワートレインを入手しなければならない。そして、それはそう簡単なことではなかったのだが。
ボディに関してもフツウに作ろうとすれば、モデリングから型(モールド)の製作、そしてパネルの整形にかかるコストも莫大だ。だから、よほどしっかりした稼ぎとなるビジネスと並行して開発を行わなければ、とんでもないリスクを負うことになる。かつて、パガーニがクオリティの高い少量生産を行うことができたのも、CFRPパーツ製造という良好な利益体質を持つ本業があり、そのリソースを最大限に活用できたからだ。さらに、彼らの後見人であるファンジオ(アルゼンチン出身の元F1ドライバーでパガーニのアドバイザーを務めた)の力で、AMGのパワートレインを1台単位で購入することができたからである。


ここ数十年を鑑みても、多くのブランド復活プロジェクトが生まれた。O.S.C.A、ATS、イソッタ・フラスキーニ、ペガソ、スパイカー……。しかし、その多くは発売にこぎつけることなく消滅している。コンセプトモデルの発表で上手くブランドのアピールができても、生産モデルとして顧客へデリバリーするまでにはそう簡単にたどり着くことはできないのだ。近年では中国企業としてBEV主体に展開を進めているMG、そしてかつての名車をごく少数復刻したいわば“レクリエーション”モデルであるビッザリーニ 5300GTなどが、数少ない製造までこぎつけたブランドではないだろうか。そのビッザリーニにしてもジウジアーロデザインのオールニューモデルが、成功裏にローンチするかどうかは神のみぞ知るであるが。
表面的に見るなら、3Dプリンターやバーチャル開発システムの一般化により、少量生産のハードルは下がったといえるかもしれない。しかし反面、ホモロケーションや環境問題への対応など、スタートアップブランドのリスクは高まっている。メジャーブランドがたくさんの限定生産モデルをリリースする時代となった現在、パガーニのような年間数十台という生産規模のスーパーカーブランドをゼロから立ち上げるというのは至難の業だ。
筆者もこの新デ・トマソプロジェクトに近しい人脈があったことで、多少の内情は理解しているが、誰かが大きなリスクを背負う決断を行わない限り、なかなか事業として成立させるのは難しいのではないかと考える。現実的なハナシをすればP72を72台販売したところで懐に入ってくるキャッシュなどわずかなのだ。だから、リスクを背負った“転車操業”を行う必要がある。

そもそもアレッサンドロ・デ・トマソにして、自転車操業でビジネスを回してきたオトコである。
彼が奥さんのイザベル・ハスケルのハスケルファミリーから潤沢な資金を引き出して事業をはじめたという記述があるが、それは間違いだ。ハスケルファミリーを本格的にビジネスに巻き込んだのはフォードとのコントラクトが成立してからだが、それもファミリーのキーパーソンを事故死で失い、その資金は藻くずと消えた。結局、すべてを提携先のフォードに明け渡さねばならなかったのだ。アレッサンドロはデ・トマソ・アウトモビリ創業時から、絶えず魅力的なプランをプレゼンして資金集めに奔走していた。まさに“煙を売るオトコ”と称された自転車操業の名手であったのだ。
1975年に彼が経営を引き受けることになったマセラティもまさに同じ状況であった。彼自身はマセラティにポケットマネー(100ドルともいわれる)しか出資することはできなかったし、主たる出資者であるGEPI(産業復興を目的とする国有企業)の資金もたかが知れていた。そこで彼が思いついたのが廉価版マセラティのビトゥルボプロジェクトだ。「マセラティのブランドの新車で、それもターボが2つも付いている。そんな車が超特価!」とアレッサンドロはあおり、顧客からは多額の手付金を受け取ることに成功。それを元手に開発を進めたが、生産開始は遅れに遅れて、手付金を払った顧客たちが暴動寸前に。見切り発車で何とかデリバリーを開始した。そのような自転車操業で何とかマセラティを延命することができたのだが、ビトゥルボの熟成不足という代償は大きく、“宇宙一壊れる車”という称号を受け取ることになってしまったのだった。

デ・トマソ新プロジェクトの動向からブランドの原点であるアレッサンドロ・デ・トマソの生き様まで思いをはせたが、ひとつ言えることは、アレッサンドロにはまがうことなき車作りへの強いパッションがあったということだ。それは同時期に車作りを主導した、パオロ・スタンツァーニやマウロ・フォルギエリなどからも同じく感じたこと。筆者は会うことが叶わなかったが、かのエンツォなども最強のパッションを持っていたに違いない。そう、ブランド確立のためには、この新デ・トマソプロジェクトに、それがあるかどうかなのだ。



自動車ジャーナリスト
越湖信一
年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。
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