四つ葉のクローバーは勝利の証し! モータースポーツ黎明期から活躍するアルファ ロメオという老舗ブランド【EDGE Motorsports】
2023/12/14
▲アルファ ロメオのハイパフォーマンスモデルに許されたグレード名が「クアドリフォリオ」。この四つ葉のクローバーのエンブレムは、アルファ ロメオがモータースポーツの黎明期から活躍してきた証しであり、100年におよぶスポーツカーの伝統を重んじる姿勢の表れでもあるアルファ ロメオの存在抜きには語れないモータースポーツの歴史
1910年6月24日、イタリア・ミラノの郊外で、志をともにする起業家たちがA.L.F.A.(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili=ロンバルダ自動車製造有限会社)を創業する。これがアルファ ロメオの起源だ。
A.L.F.A.の第1号車「24HP」は、現在のスポーツセダンにあたるモデルで、レースへの参戦を通じて性能や信頼性を高めていった。それに伴い順調に事業を拡大していくが、第一次世界大戦の影響で業績が悪化。その際に救いの手を差し伸べたのが、エンジニアであり起業家のニコラ・ロメオだった。
1919年、A.L.F.A.にロメオを足し合わせて「アルファ ロメオ」へと社名を変更し、ミラノの紋章をかたどったエンブレムロゴが誕生する。
▲アルファ ロメオ(当時はA.L.F.A)の第1号車として1910年に誕生した「24HP」。設計したのは、若きエンジニアのジュゼッペ・メロージ。1913年までに約200台が製造され、レーシングモデルも存在した1920年、後にフェラーリを創業するエンツォ・フェラーリがテストドライバーとしてアルファ ロメオに入社。すぐに頭角を現しワークスドライバーになったもののレーシングドライバーとして名をはせるまでには至らなかった。
エンツォは1929年にアルファ ロメオのセミワークースという位置づけのレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立する。第二次世界大戦後に、自社でマシンをつくるようになったスクーデリア・フェラーリが、1951年のイギリスGPで初めてアルファ ロメオを破って優勝した際、エンツォが「私は自分の母親を殺してしまった」とつぶやいたという逸話が残っている。この言葉からも当時のモータースポーツ界におけるアルファ ロメオの存在がわかるというものだ。
▲ジュゼッペ・ファリーナやファン・マヌエル・ファンジオなど、アルファ ロメオはスターと呼ばれるドライバーを多く生み出している。そんなアルファ ロメオと契約したドライバーにはエンツォ・フェラーリ(写真)も。後にエンツォが設立したスクーデリア・フェラーリは、アルファ ロメオのセミワークスという立場だったアルファ ロメオの象徴ともいえる“クアドリフォリオ(四つ葉のクローバー)”が使われるようになったのは1923年のこと。その年のタルガ・フローリオへの参戦に向けて、ドライバーのウーゴ・シヴォッチが白い正方形に緑の四つ葉のクローバーをあしらったシンボルマークを幸運のお守りとしてマシンのノーズに描いたことがそもそもの発端であった。
そのレースで見事に優勝を遂げ、シンボルとしての価値を高めたものの、数ヵ月後のレースでシヴォッチは命を落とすことに。そのとき彼のマシンにはクアドリフォリオが描かれていなかったことから、その後、レースに参加するすべてのワークスマシンには護符としてクアドリフォリオが掲げられることになった。また、それを機に正方形だった白いベース部分は、シヴォッチが欠けたことを示す三角形とされている。
▲初めてアルファ ロメオのマシンにクアドリフォリオが描かれたのは1923年のタルガ・フローリオでのこと。レーシングドライバーのウーゴ・シヴォッチが、自身がドライブするアルファ ロメオ RLに描いたのがその始まり
▲24HPを設計したジュゼッペ・メロージの傑作といわれるアルファ ロメオ RL。タルガ・フローリオをはじめとする多くのレースで活躍した。ウーゴ・シヴォッチが描いたクアドリフォリオは白い四角形に収められていた
▲2023年はクアドリフォリオ誕生から100年という節目の年。9月にジュリア(写真左)とステルヴィオ(写真右)に、それぞれ世界100台の限定車として「クアドリフォリオ 100th アニヴェルサリオ」が用意された。また、ジュリアとステルヴィオにはそれぞれトップモデルとしてクアドリフォリオがカタログモデルとしてラインナップしている▼検索条件
アルファ ロメオ ジュリア クアドリフォリオ × 全国▼検索条件
アルファ ロメオ ステルヴィオ クアドリフォリオ × 全国1960年代に入ると量産モデルをベースとしたレースカーが活躍する。
現在も人気が高いジュリア TI スーパーやジュリア スプリント GTAなどだ。また、この頃に名車ティーポ33などが生まれ、世界スポーツカー選手権などに参戦。1975年には500psを発揮する水平対向12気筒3Lエンジンを搭載した33 TT 12でコンストラクターズタイトルを獲得する。
▲アルファ ロメオの黄金期を支えたレーシングカーのひとつである「33 TT 12」。現在の世界耐久選手権(WEC)の元となった耐久レースである世界スポーツカー選手権においてアルファ ロメオにコンストラクターズタイトルをもたらした1976年、ブラバムのエンジンサプライヤーとしてF1に復帰し、水平対向12気筒エンジンを供給する。1979年には自社開発のマシンでF1に参戦するも、その後、経営難により1985年にワークス活動を休止した。1990年代に入るとドイツツーリングカー選手権(DTM)で155 V6 TIが大活躍。1993年の年間タイトルを獲得した。翌年には英国BTCC選手権やスペインのCET選手権で155 TSが活躍するも、この頃からアルファ ロメオとしてのワークス活動は途絶えている。
近年はかつてのレーシングマシンの名を冠した「8C」やレースマシンさながらのカーボンモノコックを用いた「4C」といった本格スポーツカーも市販してきた。
そして、2018年からはスイスのF1チーム「ザウバー」とパートナーシップを締結するかたちでF1への参戦を開始。翌年から「アルファ ロメオ・レーシング」に、2022年には「アルファ ロメオ F1チーム」と名称変更しながら関係性を深めてきたが、両者の提携関係は2023シーズンをもって終了する。
来シーズン以降、アルファ ロメオはハースF1チームとパートナーシップ契約を結ぶという噂もあるが、今後に注目だ。
▲フルカーボンモノコックを採用し、1.8L直列4気筒ターボエンジンをミッドシップに配したライトウェイトスポーツカー。2014年に発表され、翌年にデビュー。2015年にオープンモデルも登場した▼検索条件
アルファ ロメオ 4C/4Cスパイダー × 全国
▲2003年にコンセプトモデルが発表され、2006年に全世界500台の限定モデルとして登場。あまりの人気の高さゆえ、日本市場向けに披露される前には完売していた。クーペとオープンモデルが存在するが、中古車市場でも希少車となっている▼検索条件
アルファ ロメオ 8C/8Cスパイダー × 全国【関連リンク】
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