マセラティ MC12ストラダーレ最高額落札の盛り上がりの陰で、マクラーレンの“最終車両”コレクションがひっそりと販売されていた!?
2025/09/22

“最終シャシーナンバー”のみを集めた驚きのコレクション
去る8月、モントレー・カーウイーク期間中に開催されたブロードアロー・オークションズで、2005年式マセラティ MC12ストラダーレが注目を集めた。
250万ドルからスタートした競りは50万ドル刻みで活況を呈し、MC12ストラダーレとしてのオークション史上最高額となる520万ドル(落札手数料込み)を達成した。マセラティとしても誇らしかったのか、公式プレスリリースを発信するほど。
走行距離1万km強の個体でここまで競りが盛り上がったのは、モントレー・カーウイークのお祭り気分がなせる業だろう。

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マセラティ話題になったこのオークション結果を横目に、静かにイギリスの中古車販売店で販売された驚くべきコレクションがあった。それが「マンスール・オジェ・コレクション」である。
マンスール・オジェは、1980年代にロン・デニスに誘われマクラーレンの共同オーナーに就任した人物。彼が率いた投資グループ「Techniques d'Avant Garde(TAG:タグ)」は、時計メーカーのホイヤーを買収してタグ・ホイヤーとなったことでも有名だ(1999年にルイ・ヴィトンが買収するもタグの名称はそのままにしている)。
また、マクラーレンと組んで「TAG Turbo Engines」を立ち上げ、ポルシェにターボエンジンの開発を依頼したことでも名をはせた。
マクラーレン・オートモーティブが市販車の本格生産を始めた際、オジェは新たなコレクションを築くことを決意。コレクションの“基準”は、各スペシャルモデルの最終シャシーナンバーと明快ながら難易度が高いもの。
コレクションの中核を成すのは、ディケム(ボルドーが世界に誇る9大シャトーの中で唯一の白ワインで極甘口のデザートワイン)と名付けられた特別なカラーで仕上げられたマクラーレン F1の最終生産車両で、後にマクラーレンがマンスール・オレンジと改名し、他の顧客には提供しないオジェ専用カラーとなった。
驚くべきことに、F1(走行距離わずか1810km)とP1 GTR(マクラーレン主催のサーキットデーで時折使用)を除き、すべての車両が未使用状態。オジェの名誉のために記しておくと、特発性肺線維症を患い2012年に肺移植を受けており、晩年はさほど健康体ではなかった。

コレクションは20台のセットで新オーナーの元へ
コレクションに含まれる20台は、さながら“最終モデル図鑑”とも呼べる内容だ。
1998年式マクラーレン F1(公道仕様車の最終車両)、2021年式マクラーレン セイバー(当初15台とされていたが、16台限定生産の最終車両)、2021年式マクラーレン スピードテール(106台中の最終車両)、2016年式マクラーレン P1 GTR(58台中の最終車両)、2015年式マクラーレン P1(375台中の最終車両)など、どれも異論無しに希少な個体ばかり。
しかもマンスール・オジェ・コレクションは全車、マクラーレンが直々に整備内容を指示して維持されてきたという。これは他のコレクターには提供されたことがないサービスであった。
マンスール・オジェ・コレクションの販売を任されたのは、イギリスの高級中古車販売店として知られるトム・ハートレー・ジュニアだった。同社は過去に“F1の皇帝”バーニー・エクレストンのグランプリマシン・コレクションを販売している。
当初、マンスール・オジェ・コレクションの分割売却も検討されたが、最終的にセットでの販売が実現した。エクレストンのコレクションは金額非開示ながら購入者がレッドブル創業者ディートリヒ・マテシッツの息子、マークであったことが明かされたのに対し、マンスール・オジェ・コレクションは売却金額、購入者ともに今のところ明らかにされていない。
オークションでの華やかな競りとは対照的にマンスール・オジェ・コレクションは静かに、しかし確実に新しいオーナーの元へと旅立った。オジェが築き上げた貴重なコレクションがひとつのまとまりとして保たれたことは、自動車史において意義深い。



