フェラーリ アマルフィ▲2025年7月に日本でもお披露目されたフェラーリ アマルフィ。ローマの後継となる2+2のFRクーペで、カリフォルニアから続くフェラーリへの入門モデルとしてセールス面でも期待される

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それゆえに車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。

しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は、「アマルフィ」を最新モデルとするV8パワートレインをフロントノーズに収めたフェラーリ2+2=GT系誕生の歴史を紹介する。
 

カリフォルニアを始祖とする2+2GT

フェラーリ アマルフィが先日、日本において発表されその質感高い仕上がりは好評のうちに受け止められたようだ。

最高出力640ps、最大トルク760N・mのV型8気筒3.9Lツインターボエンジンを搭載し、0→100km/h加速3.3秒、0→200km/h加速9秒、最高速320km/hを発揮するというハイパフォーマンスぶりも魅せてくれる。

スタイリングはローマのテーマを引き継いだものであり、彼らの言うところの「ミニマルなアプローチで彫りの深い洗練した」という点では成功している。ボディパネルはすべてこのアマルフィのための新設計であり、キャリーオーバーはガラス類だけである。

このアマルフィはV8パワートレインをフロントノーズに収めるフェラーリ2+2=GT系として、その祖先をカリフォルニアにもつ。カリフォルニアは2008年に発表されたフェラーリ初のリトラクタブル・ハードトップを採用しており、V8をフロントに収めるという点においてもフェラーリ初であった。

2012年にマイナーチェンジを受けカリフォルニア30に。2014年には新たにターボチャージャーをもつパワートレインを採用し、カリフォルニアTとなった。そして2017年にはポルトフィーノ、2019年にはクーペバージョンのローマ、そしてスパイダーを経て、このアマルフィへと到達するワケだ。
 

フェラーリ アマルフィ▲アマルフィはグランドツアラーのコンセプトを進化させたスポーツカーとして、ハイパフォーマンスと日常的な汎用性の高さを両立するとうたわれる
フェラーリ アマルフィ▲フロントミッドに搭載される3.9L V8ツインターボエンジンは、最高出力をローマ比20psアップの640psとした

V8フロントエンジンのGT系は実用性をもったエントリー・フェラーリとして地歩を固めている。カリフォルニア各モデルの累計では2万台あまりの生産台数を記録しており、フェラーリにおける重要な戦略モデルであることがわかる。

近年、フェラーリは全体としての生産台数は拡大するものの、それぞれのモデルの生産台数はいたずらに増やさないという戦略を取っている。そう、どんなエントリーモデルであっても希少性にこだわるということなのだ。

だからマイナーチェンジを含むニューモデルを年間にそれなりの数、誕生させなければならない。アマルフィはローマのマイナーチェンジと言ってしまえばそれまでであるが、これだけ少量生産のモデルを定期的に多数生み出し、各マーケットへ供給し続けるということができるのはフェラーリならではの仕事であり、これはそう簡単なことではない。

ちなみに、”アマルフィ”は南イタリアの海岸の名前から取っているが、ネーミングを検討するのもなかなか大変な仕事であろうと筆者は思う。
 

フェラーリ カリフォルニア▲2008年に登場したフェラーリ2+2GT系の始祖となるカリフォルニア。4.3L V8自然吸気エンジンを搭載、フェラーリ初のリトラクタブル・ハードトップを採用した

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フェラーリ カリフォルニア

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フェラーリ カリフォルニア30

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フェラーリ カリフォルニアT
フェラーリ ローマ▲ローマは2019年に発表されたポルトフィーノMの後継となる2+2GT。1950~1960年代の“ドルチェヴィータ”をコンセプトとしたデザインを採用する

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フェラーリ ローマ

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フェラーリ ローマスパイダー

10年越しで実現したラグジュアリーかつカジュアルなカテゴリー

V8フロントエンジンモデルは前述のように2008年に誕生したのだが、実は1996年に誕生した550マラネロのプロジェクトの中にその萌芽はあった。

当時、フェラーリ・ロードカーのスタイリング開発を行っていたピニンファリーナが、365GTB/4デイトナ以来、フロントエンジンのスパイダーモデルが存在しないことから、新たなカテゴリーとしてフェラーリに提案したのだ。

当時、特に北米での販売台数確保が重要視されており、V8エンジン搭載のラグジュアリー、かつ手頃なモデルという新カテゴリーを開発しようというピニンファリーナ開発部トップのロレンツォ・ラマチョッティの提案に、全権を握っていたルカ・ディ・モンテゼーモロは飛びついたという。

ところが、そのプロジェクトは次第にふくらんでいき、フェラーリのV12トップレンジモデルとして、クーペボディをもった550マラネロとなってしまったことを知る人は少ない。フラッグシップV12モデルをミッドマウントエンジン・レイアウトからFRにシフトするというモンテゼーモロの当時考えていたアイデアにこのピニンファリーナの提案はぴったりであったのだ。
 

フェラーリ 550マラネッロ▲1996年にフラッグシップとして登場した550マラネロ。先代のF512Mのミッドシップから変更、V12エンジンをフロントに搭載する。なお、2002年には575Mマラネロへと進化を果たした

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フェラーリ 550マラネロ

2008年にデビューを飾ったカリフォルニアは、まさにこのピニンファリーナのオリジナルアイデアに基づいたものであった。ラマチョッティらはラグジュアリーであり、カジュアルなイメージを持っていた250GT カリフォルニア スパイダーへのオマージュとしてこのアイデア(=フロントエンジンV8スパイダー)を練っていたのであるから、まさに、10年越しで彼らのアイデアが商品化されたというワケだ。

この背景には当時、フェラーリがマセラティを傘下に加え、パワートレイン生産やペイントなど製造工程に余裕ができたことも加えなければならないだろう。マセラティ グラントゥーリズモ(先代)とカリフォルニアの開発は様々な点でオーバーラップしていた。

例えば、2014年にマセラティ創立100周年を記念して発表されたアルフィエーリ・コンセプトのベースとなったのはまさにカリフォルニアであったというトリビアもここにお伝えしておこう。
 

マセラティ アルフィエーリ▲マセラティの創立100周年を記念した実走も可能なコンセプトモデル「アルフィエーリ」
文=越湖信一、写真=フェラーリ、マセラティ、橋本玲
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。